住 ― shelter ― 暮らす。
- FRACTUS 編集部

- 2025年2月4日
- 読了時間: 3分
更新日:2025年2月28日
考古学に、「景観考古学」という分野があります。
遥か昔、日本の人口が500万人に満たなかった頃、家は疎らで移動距離も少なく、近隣の村とは没交渉だったのではないかー。そんな概念は丘の上に立てば一変します。

皆さんも、ぜひ鳥取県の妻木晩田遺跡にお出かけしてみてください。
そこは古代出雲の中心地。鍛冶や玉造で栄えた職人の村でした。
見渡せば北に美保湾、南に大山。小高い丘に登ればあちこちから炉の煙が立つのが見えたことでしょう。内海で航海が容易な港では、遠く糸魚川まで翡翠を求める人々の船出を見送ったはずです。
眺望から人々の暮らしぶりを推測するという理論からは、700軒という大規模な集落跡に確かに息づいていた、いにしえの人々のコミュニティーが浮かび上がります。
その土地に根差した人々と環境は、双方向に影響を与えあい、風土に基づいた文化が豊饒していきます。
腐食しにくく建材として最適で、かつ食料にもなる栗の木を計画的に植林し、柱に据えた竪穴住居には、藁葺屋根の上に盛土を。土蔵のような湿度調整機能を保つ工夫がされたエコ住宅に人々は暮らしていました。

100mほど山を下れば日本海を臨む海岸線。仕事の合間に山と海を行き来し、旬を取り入れた山海の珍味を集めた豊かな食生活。
家の間取りは子どもを含む5人家族で四畳半、それは今の茶室の小間に通じます。四畳半は小間にも広間にもなる空間です。今も昔も、人の好む寸法は同じのようです。
この集落のもっとも眺めのよい場所に、墓があります。
埋葬地がわかるように小石を丁寧に並べた跡が残る墳墓の大半は子どもの墓です。慈しみ育てた愛し子を葬る逆縁の切なさ。職人の村だったからこそ、そこには争いも武器により傷ついた人もなく、ただ優しい海風を感じ、水平線から昇る朝日が良く見えるようにと、多くの墓は丘の臨海地につくられました。

日本には、聚楽壁や大津壁など、土地の名がついた土壁の技法が残ります。
また白土、赤土、黄土、浅葱土など、風土によって採れる土に色があります。土を捏ねて器をつくり、土で色を染め衣服を装飾し、土で壁を塗って雨風を凌ぐ。
竪穴住居の元は、原初の洞穴です。祈りと葬送の場であった「CAVE」は、やがて人々を護る壁となったのです。
木で柱を建て、土を壁に塗る。収穫した稲藁で屋根を葺き、またその藁は衣服や暮らしの材料となる。この豊かな循環が、日本の「住まい」です。
風土の中で暮らすことこそ、本当に求めていた生き方ではないでしょうか。
FRACTUSでは、いにしえの知恵が息づく伝統工法を学び、現代の暮らしに合った取り入れ方を提案します。
職人さんとつくるオリジナル家具や、暮らしを彩るインテリアもご紹介していきます。

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