祀 ― prayer ― 祈る。
- FRACTUS 編集部

- 2025年2月16日
- 読了時間: 3分
更新日:2025年2月18日
芸能の租は、岩戸開で天照大御神を外へと誘ったアメノウズメだとされています。
アメノウズメの巧みな俳優(わざおぎ)で神を招いたこの神話は、一説には日食のことだとも、太陽の復活を願う冬至のことだとも云われます。いずれにしても五穀豊穣を神に祈る神事だったことでしょう。やがて田楽、神楽となり、次第に神事を離れて芸能となりました。
アメノウズメは桶(台)を伏せて上に乗り拍子をとった為、「舞台」の言葉が生まれました。
神楽や催馬楽には「於介(おけ)」という囃子言葉がありますが、やまとことばでは「可笑(おけ)」と書き、 心を沸かせるさまを指します。『古事記』ではアメノウズメの舞に八百万の神々が「咲った(わらった)」と「咲」の字を当てています。人をあげつらう笑いでなく、心に花が咲くような、充足を感じる楽しい時間だったことが伝わります。
この時アメノウズメは小竹葉を手草に結ったものを採物(とりもの/神楽で神職が手に持つ道具)とし、神懸かりして舞いました。
『万葉集』にも「天なるや 神楽良の小野に 茅草刈り 草刈りばかに 鶉を立つも」と「神楽良」を「ささら」と読むことから、笹を束ねて音を出す楽器のようなものと考えられています。
このササラという楽器は、今でも各地に残る田植神事で豊作を願う呪具として使われます。
様々な形がありますが、いずれも竹で作られています。
竹はこのように、神を招く「依り代」として使われてきました。
かつて、この竹を生業とする人々がいました。古くから朝廷の警護を担い、時には「まつろわぬ人々」として誇りと共に生きた「隼人」の人々です。「隼人」は「声」の呪力と「隼人舞」で邪を払い、竹細工で漁を行い生活道具を作る、竹と共に生きる人々でした。
元は南九州に亘る地域に住んでいた海人とされ、阿多半島から来た「阿多隼人」は奈良県五條市の「阿田」辺りに。大隅半島から来た「大隅隼人」は現在の京都府京田辺市「大住」辺りに居を構えます。

この地に集ったのが一休禅師、能楽師・金春禅竹、侘茶の創始者・村田珠光です。
竹の里に集った3人から、清浄な菩薩像を思わせる能の名作「江口」や「山姥」が創作されました。そして、山を越えた先にある高山の地で、村田珠光の依頼により淡竹を細く割いて作る「茶筅」が生まれました。

能や立て花、茶道は室町時代に完成されました。
いずれも本質は神に奉るものであり、道具に竹を使うことも共通しています。
芸術・芸能の真の形は、神話にあると言えるでしょう。
今では形しか残っていないものの奥に、何が潜んでいるのでしょうか。
竹の道具に、古い地名に、人々が歩んできた物語があるようです。
ハコビ、 型、点前、といった合理性の美は、もしかしたら一休・禅竹・珠光の異業種交流という「まつろわぬ人々」の洗練を経て磨かれてきたのかも知れません。 稀代の文化人たちは、竹を前に何を語ったのか。紐解いてみたい人物相関図です。

参考文献
・『竹を語る』 高間新治 著 世界文化社
・『採花譜 水と素(しろ) - 始まりの地へ - 2021年冬至』 京きもの蓮佳 著 月虹舎文庫
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